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よみぢのほだし

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今年の地蔵盆調査

お寺さん関係で動いた二日間でした。


23日、まずは兼ねてからの計画通り…

氏神様でもある八幡社の神宮寺さん薬園寺さんと、材木町のお地蔵さんの元へ向かうべく…

郡山駅前から矢田筋を抜け、大工町経由で柳町、高田口……と途中の地蔵盆を偵察しながら歩きました。


大工町では、いつも賑やかに飾り付けられている電気屋さん脇の地蔵さんが、17時からお寺さんがお参りにくるとの情報を掴み、予定に組み込みました。

で、辿りついた薬園寺さん&材木町の地蔵さんで、どうぞ~と本堂に招き入れられ、「あれ?」と(多分)知人から声を掛けられつつ、住職さん(別当さんです)から色々と話を聞きました。

薬園寺さんは、檀家のない寺院なのですが…柳澤家縁のお寺です。

聖武天皇が開基で行基さんが開山だそうです。元は薬園八幡神社の神宮寺で、旧い城下町図ではこちらのほうが大きく描かれているほどです。

真言宗御室派なのですが、どちらかというと修験色の濃いお寺だそうです。

ちなみに、寺のすぐ入口に材木町の地蔵さんはいらっしゃいますが…お寺の地蔵さんではなく、町のお地蔵さんです。来年は、数珠くりに間に合うように行こうと思ってます。


その後、電気屋さん脇の地蔵さんに向うため、時間つぶしに、今度は洞泉寺を抜けようと歩いてますと…

普段は締まっている寺の門扉が開いて、地蔵盆の提灯が吊ってありました。

豊臣秀長縁の洞泉寺ですが、ここは同級生の家だったりします。今は交流ないけど…

覗きにいって見ると、私がここにいるきっかけの垢かき地蔵さんのお堂が開いていました。

庭を掃いてるお坊さんに「こんにちわ~」と声を掛けつつ、お堂を覗き込んでると、お坊さんから声を掛けられ……

弟の同級生でした。私の同級生の弟くんです。

しばらく色々と話をしていたのですが、ここはお寺のじぞうさんなので、子供たちの地蔵盆とは違うものです。昔、幼稚園をやっていた頃は、子供さんも参加してたそうですが……


洞泉寺町から大工町へ戻り、目的の地蔵さんに向かうと…ちょうど浄照寺さんから出てくる姿。

どうやら、お経を上げに行くお坊さんのようでした。多分、ご住職でしょう。

お参りが終わった後、近くの方(実は電気屋さんの方でした)にお話をお伺いすると…

ずっと、大工町の地蔵さんだと思っていた地蔵さんが、実は個人の地蔵さんだということを初めて知りました。

そりゃ、他に何も行事してる様子がないはずだ。


この日は、以上で調査を終え、図書館へ向かおうと堺町を歩いていると…新中町に人が集まっていました。

聞いてみると明日(24日)に数珠くりをするそうで…行くことに決めました。

図書館で調べものをし、閉館時間で追い出され…折角だからと、脳内地図を広げるため九条駅まで歩きました。

何箇所か、ご詠歌をあげていたり、なにかの準備を始めてるところもあったのですが…

急な雨がちょっと心配でした。


 




そして、24日。

13時からの新中町の数珠くりに向かいました。

行く途中、大手門の地蔵さん前にスイカ割りの残骸を見つけました。また、調べに来ないと……

新中町は、秀長公の菩提寺・春岳院のある町です。

外で数珠くりをするかと思っていたら、お寺の中でするのだそうで……中に入れていただけました。

どこもそうですが、やはり、子供さんが少ないのが難点だそうです。

ご住職のお話の後、数珠二本で二手に分かれて数珠くりしてらっしゃいました。

そのあと、お時間いただけて、ちょっとご住職さんとお話し、本堂を少し見せていただきました。


 


今年は、お寺を回ったかのような地蔵盆調査になりました。

郡山は、旧城下町地区のほとんどの町が(昔は全部やってました)地蔵盆を同日にするので、年に数箇所ずつ回るのが限界です。

引っ越しして、手伝わなくてよくなったので動きやすいのですが……遠くなったのが難点だ……

一度、人海戦術での調査したいですね。個人では難しいですが……

 


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