民具のこと ◇過去日記ダイジェスト◇ 2006年02月28日 先日、関民連と紀伊風土記の丘が主催で「実験民具学講座」が行われました。竃で、鉄釜でご飯を炊いて食べたり、私は時間の都合で参加できなかったのですが千歯扱きや唐箕を使ったり…いつもは触ったり整理したりすることしかない「民具」を実際に使いました。「民具」というと……「昔の道具」というイメージが強いですが、よく考えてみたら、日常生活の中で普通に使っていた(使っている)物なんですよね。今、こうやって文字を打っているパソコンと同じで…私は、「民具」だからといって特別なものと思えません。民具整理のアルバイトをしているときに、ラジオや電話、ミシンなどといった昭和の一なら普通に使っていただろう道具に出会って、更にそういう感覚が強まりました。使わなくなった物は民具。使っている物は道具。大まかに分けたら、こうなるんでしょうか?微妙な違いですね。そんな風に考えると、粗大ごみの日、ごみ置き場に積まれている物も、運命が違えば民具として収蔵庫に入っていたんだろうな…となんだか感傷的になってしまいます。……って、別に、そういうことを言いたいがために、これを書いてるわけではないのでした。話の軌道を修正します。千歯扱きや唐箕などといった農具は、私の育った場所が場所なだけに、接する機会はありません。使い方だって、歴史の教科書なんかに載っている絵で何となくの想像をしているだけですし。けれど、今では資料館にあるような五つ玉の算盤は祖父が仕事で使ってましたし、棒に目盛りがついていて錘を動かして量る棹秤は祖母が漬物の塩を量るのに使っていました。正月用の黒豆やオヤツのカキモチは七輪で焼いていました。でも、家に竃や囲炉裏があったわけでもないですし、井戸はあったけど水を汲んでいたわけではありません。民俗学をやっているのに、民具を触っているのに…それがどういうものなのか、どうやって使うのか、何も知らずに話を聞いたり、台帳に記入したりするのです。それは、ずっと疑問でした。こんなんじゃ何の意味もない…とは思っていました。といっても、どうしたらいいのかも分からなかったのですが…そんな風に葛藤というか焦燥を抱いて、細々と研究活動(?)を続けている中、今回の「実験民具学講座」が開催されました。夕方から別の用事があったのですが、「なんとかなる!」と参加することにしました。参加して、本当に良かったと思います。古民家の土間で、竃に火を入れ、釜でご飯を炊くという経験は、かなり有意義でした。抱いていた疑問への、解決の糸口になりました。少しずつ、少しづつ、知っていこうと思います。またこのような機会があれば参加したい…と思います。本当の意味で知っていなければ、どれだけ聞き取りしても本当の意味での調査にならないのだと、改めて思いました。そういえば、祭の調査先で、時折、準備の手伝いをする機会もありますが、それも、同じですよね。…鉈で竹を削るのは結構、大変です(苦笑)これからは、積極的に、祭のお手伝いもしたいと思いますね。 PR