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よみぢのほだし

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とても痛くて・・・

いつもの如く、深夜のコルダ2を楽しんでいたのですが……
今さっき、柚木先輩のイベントを見て、痛いやら哀しいやら…色々思い出したり考えたり…涙が止まらなくなってしまいました。

柚木先輩は、何故だかちょっと苦手で、いつも敬遠気味だったんですが…
私の「知っている」痛みを持ってる人だったから…なのかもしれないです。

火原っちと柚木先輩の強い友情…というか絆みたいなのを垣間見れた気はするんですが、
それ以上に、痛いです。
断念しなくてはいけない…自分の意思ではない、別のところからの力による…自分ではどうすることもできない大きな力に左右されることって、本当に辛くて痛いから……

イベント見ながら、涙がボロボロ零れてきて止まらなくて…
感情の持って行き場がなくて…
この先へとゲームを続ける為には、一旦、吐き出してしまわないといけない気がしました。

「辞めるのと 諦めるのとでは 次の道が変わってくる」
そういえば、そんな歌を、昔めぐさんが歌ってたな…などと思い出しています。

………この続きは、気になる方だけどうぞ………
もともと、6歳の時に我が儘を言って始めた音楽。
ずっと、音楽だけをやってて、他は本を読むくらいしか趣味もなくて、運動も音楽を理由に運動音痴をいいことに授業以外やってなくて…
自分は、大人になったら音楽の道を突き進んでいるんだと…迷うこともなかった時代がありました。
けれど、成長するにつれ、子供にも家庭事情や社会事情はわかってくるわけで…
週一回、町の音楽教室に通う程度は何とかなる。けれどそれ以上は…
祖父が「嫁入り道具に…」と買ってくれた、少し高価なアップライト。その祖父も、私が音大に進むのだと疑ってなかったと思います。

中学の時、公立高校の音楽科に進もうと考えていました。
けれど、小耳に挟んだのは「グランドピアノを買わないといけないらしい」という噂。
そして、「(グランド)なんて無理…」そう呟くように言った家族の言葉の裏には、普通科に行ってくれれば余計な出費はないのに…というニュアンスが含まれていました。
その頃の我が家の家計は火の車。分かっていました。下に弟が二人(しかも双子…すべて二人一度……)も待ち構えているんですから。
結局、周囲の大人たちからの「大学に入ってからやれば?」「高校から行ったら音楽しか道がないよ?」…そんな言葉に、本当の気持ちなんて告げられるわけもなく…聞き分けの良い子を演じて…私は頷いて普通科の高校へ行きました。
確かに、そうやって入学した高校で、たくさんの友達と出会い、今でも付き合いは続いていて…皆、大切な人たちです。

そして大学受験……
高2の夏までは、音大に行く気でした。
そう……中学の時以上に逼迫した家計と、大学案内に載っていた学費と、受験のために必要な経費を知るまでは………
大学進学すら嫌悪感丸出しの父親、それも含めて悪化の一途を辿る家庭内。
もう、「諦め」るしか方法はありませんでした。
趣味でいい。そう思うしか。
それまでの17年間は、なんだったんだろう…そんな気にもなりました。
一番好きなものがダメなら二番目に好きなもので…と史学系の大学に行ったのが現在への道の始まり。ただし…授業料は全て自分で払う…という条件で……
バイトをしながらだから、「いつかは!」と続けていても練習もままならない…それでも頑固に練習だけは続けていました。
当然、大学・大学院でも大切な友達と出会いました。
高校・大学・大学院の友達は、一生の宝ですから……今更リセットできる代物じゃありません。そのつもりもないし・・・できるわけもないけど


そんなことを思い出し、止まらなくなってしまった涙。
周囲の大人の言葉に従うことしか知らなかった。
大きな流れに逆らう術なんて持ってなかった。
自分で自分を納得させて、それが一番いいんだ…と感情を押さえ込んで…
そのまま、吐き出す場所もないままで、現在への道を通ってきた私。

柚木先輩の言葉の一つ一つが、忘れていたはずの胸の奥の傷に染み込んでいって…柚木先輩を気遣う火原っちの優しさが、広がってきて……
納得していたはず……
そう…「はず」なんです。
そして、「はず」…と気付いてしまったら…本当の気持ちに気付いてしまったら…何もかももどかしくて…どうしたらいいか分からなくて…
ああっ!もう、何かいてるか分からなくなってきた!!

コルダに出会わなければ、音楽への情熱も甦らなかっただろうし…あの頃の感情が甦って痛みに涙することもなかったでしょう。
現実から目を背けるように、逃避してゲームを続けることもできます。
でも…やはり……忘れられないんだな……と思いました。
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