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よみぢのほだし

117

あの日。
まだ真っ暗な5時45分頃、何故か目が覚めた。
なんで目が覚めたんだろう?まだ寝れるやん。……と二度寝体制に入った瞬間、ドーンと下から突き上げるような揺れ…からの激しい横揺れ。慌てて布団に潜り込んだ。

祖父の冷静な声が「地震や!布団被れ!」と2階に響いた。
えらく長い揺れに、一体何が起きたんだ!?
天井裏からは砂がパラパラ落ちてくるし、木造の家はギシギシいうし……

揺れが止まって、真っ先にラジオをつけた。
祖父も、すぐにテレビつけた。
なんかよく分からないけど、震源は兵庫だと、奈良は震度4だとだけは把握。
1階から、母の声が安否を聞いてきた。

奈良は大丈夫だったから学校行く仕度しつつ、テレビをずっと見てたけど……次々と映し出される被害状況。あの街の様子、倒れた高速道路……

学校では、朝のホームルーム最中に余震がきた。
避難訓練だとふざけあってるくせに、みんな、机の下に潜り込む。……高校生にとって学校の机は小さかった。
放課後、百人一首大会の個人戦決勝があったから、その会場になってる部室(茶道部)に急いで向かった。
お茶碗数個と花瓶が落ちて割れてた。先生と一緒に片付けて、予定通り百人一首大会は行われた。

帰宅して、テレビで神戸の様子見て唖然とした。
思ってた以上に大変なことになっていた。

母は家庭用品売り場でパートしてて、被害を予測しながら朝早めに出勤したら、食器が大惨事。
慌てて片付けて、開店に間に合わせたらしい。
買いだめの人も来た。
そんな中、「これから歩いて被災地に行く」と支援物資買い込んでリュックに積めて行った人もいたらしい。


あれから19年。
母は店は違うけれど、今も同じように家庭用品売り場にいる。防災用品も取り扱ってる。
あの時の経験は、311の時に活かされたそうだ。
近隣店舗のどこよりも早く、コーナーを作り必要なものを発注していた。

私は……なにもできないままでいる。
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