白鳥異伝 ◇過去日記ダイジェスト◇ 2005年12月05日 昨日、勾玉シリーズ2作目の新書版「白鳥異伝 上・下」を読み終えました。久しぶりに会った、遠子や小倶那が懐かしく思えました。まだ子供の頃に読んだこともあって、内容の多くが理解できていなかったことに気づかされました。遠子の「女」になることを拒み続けていた頃の無鉄砲ともいえる無邪気さ。小倶那との再会とともに「女」となってからの複雑な感情。女性なら、誰でも感じたことのある思いなのではないでしょうか?「女」であることは、枷であり変化のための通過地点。それは決して、「血の穢れ」などという馬鹿げた言葉で蔑まれるべきことではないのだと。「女」となることこそが巫女として神に仕えるための重要なことなのだと…私の、考え方の基礎は、やはり、この勾玉シリーズの影響をかなり受けているようです。児童書というには、遠子の心の動きは、あまりにも複雑で重く、そしていろいろと考えさせられるものだと思います。それは小倶那もそう。物語の端々で、「空色勾玉」の狭也と稚羽矢のことが触れられていて…続編なのだと現実的に思うと同時に、物語の中で二人が遺した多くの物事に思いを馳せました。幽の勾玉が最後の鍵となることも…続編なのだと分かっていても嬉しいものでした。輝と闇が再び、遠子と小倶那のもとでひとつになったのだと…読み終えた後に去来した思いは言葉では表しにくいものです。最後に残った明の勾玉は、次の「薄紅天女」に持ち越されます。もう発売しているはずなのですが…やはり奈良の書店では、なかなか手に入りにくいものです。年内に読み終えたいのですけどね。「白鳥異伝」では、まほろばの地が都として語られます。葛木など、奈良に住む私にとって、馴染み深い地名も出てきます。山に棲む蛇神は三輪山を思い出しました。今の世の中、一般書よりも児童書の方がタメになるのではないか…と思います。世間は純愛ブームですが、児童書に描かれる少年と少女の幼く純粋な恋模様の方が、大人たちを泣かせる目的で作られるドラマよりも、ずっと純愛だと思います。余談ですが…… PR