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よみぢのほだし

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赤穂浪士

今日は12月14日。赤穂浪士討入の日です。

この日が来ると、年末が近づいたという認識が強くなります。



今の時代の若い世代にとって、彼らのことは、おそらく理解しがたいものでしょう。実際、私の弟のように歴史などに興味を持たない若者は、どうでもいいと認識しているみたいです。武士道は馬鹿げているというのです。忠義も。

けれど、時代を超えて物語として語り継がれることには、それだけの意味があるはずです。日本人の心の中にある意識が、そうさせているのだと思います。



かつてはほぼ毎年のように、この時期にはTVで何らかの映像化がされていたと思うのですが、時代劇離れの進む昨今、テレビ局もあまり話題にしなくなったような気がします。

私が子供の頃は、ドリフですらネタにしていたというのに…



TVでは、年末特番でバラエティーを垂れ流し、適当にドラマを再放送したり、人気のあったドラマの続編を2時間ドラマにしてみたり…視聴率競争なのか、手抜きなのか分かりませんが……この時期は、あまりTVを見たいと思いません。



少し愚痴になってしまいました。話を元に戻します。



昨日は13日で、ニュースでは「事始め」について流れていました。煤払いやお身拭いも各地の寺社で行われています。本当ならば、昨日から正月準備が始まるのです。

今は、10月か11月には正月準備用品が店頭に並び、季節感覚がおかしくなってしまいそうです。



でも、やはり、ニュースで簡単であっても、13日の「事始め」ついてや、翌14日の赤穂浪士についての報道がなされると、急に、気忙しくなってしまったりするものですね。

私は、クリスマスイルミネーションのニュースよりも、そっちの方が、師走のニュースらしくて年末を感じるのです。



そろそろ、お掃除グッズのCMで「今年の汚れ、今年のうちに」なんて言い始めるんでしょうしね。

ニュースやTV番組、CMで季節を感じるのも、ある意味、現代の民俗と思っていいのかな…なんて考えています。店頭に並んでるものじゃ、季節を感じにくくなってしまいましたしね。……まあ、店頭にいた人間にとっては、全て頭の中で換算できてしまうのですが・・・(苦笑)



雪が降ったり降らなかったりというここ数日、これからまだまだ寒くなります。

明日は、春日若宮おん祭りの大宿所祭です。

明後日には宵宮祭があって・・・17日のおん祭り。

奈良の人間にとっては、年末を感じる行事の始まりですね。

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陵王

12月になりました。
私の住んでいる奈良では、年末最大のイベント【春日若宮おんまつり】の本祭(12月17日)が近づき、チラシにポスターに…と宣伝MAX!になってまいりました。
……だからどうした?と言われてしまいそうなのですが、とにかく聞いてください。


偶然目にした、駅に貼られたおんまつりの宣伝ポスター。
今年のメインイラストは「蘭陵王」。
イラストを見て"斉陵王"…季史さんを思い出したのは言うまでもありません。
これまで何度も「蘭陵王」を見ましたが…(今年はおんまつりの芸能を見に行けそうにはないですが)
これからは、何の感慨もなしに見ることはできなくなるでしょう。(以前、能「敦盛」でも似たようなことを書いた気が…その後、能「船弁慶」を見て知盛思い出した私です。)

そんなことを考えながら、駅に貼られたポスターを見ていました。
本業と趣味との微妙な接点が、古典芸能・民俗芸能を見る目を変えてゆきます。見る機会も多いから余計に色々考えたり…
余談ですが「舞一夜」を見ていて、楽の音と共に身体が動きかけた病人(苦笑)です。実際に舞を見てると音に反応してしまいます…

DSの舞一夜出ましたね。予約したものの、まだ取りに行ってません。明日取りに行きます。でも本体ないのでできません(大問題!)


ちなみに「遙か」なマメ知識ですが、おんまつりの行われる春日大社は藤原氏の氏神です。2にて幸鷹さんと紫姫&深苑くんが話していた春日社の事です。下がり藤の紋とか藤の花とか……見たことあるものがチラホラと…

秋祭シーズン到来!

8ada7fa9.JPG







今日、ピアノのレッスンの帰り道、偶然、子供神輿に行き会いました。



先生の家を出たら、ドンドン、カッカッ…という太鼓の音一緒に聞こえて来たのは「わっしょい、わっしょい」という子供たちの声。

曳いている所は間に合わなかったけれど、慌てて携帯のカメラを起動して撮影しました。

こういう時、進化した今のケータイは役に立ちますね。ありがたい限りです。

神輿はそのまま私の帰る道とは逆に向かって行きました。時間があれば付いていったんですが、仕事があったんで泣く泣く見送りました。

道が細い割に、少々抜け道っぽい場所だったから、車を避けながら進んでいました。

奈良県警の方々は、この時期、大変なんでしょうね。秋祭りの交通整理で。



10月に入って、あちらこちらで神社の幟や貼紙を見かけるようになりました。

私たち民俗研究者にとっては忙しい時期の始まりですよね~。なのに、年会がこの時期なんで、大変です。



週末に祭を行うようになった神社自治体も増え、私としては、あまり良い傾向とは思えないんですが…今の日本社会では仕方ないのでしょうか?

縁日に縁を持たないなんて淋しいですよね。



去年も書いた気がしますが、祭を休みの日にするんじゃなく、祭の日が休みだったらいいのに…



…とはいえ、今の私の仕事は休みの日こそ仕事なんですが…



山形・年会旅日記 3日目





【2006年10月16日】


今日は、フリー。

年会側のツアーもあったのですが、午後から親戚宅に行く予定だったので、個人行動にしました。


友人たちと共に山寺へ!

芭蕉よりも絵馬…という、ある意味すごく分かり易い私たち。


一通り見終えて降りてくると、階段を上っている最中に友達になったおじいちゃんたちが、玉こんにゃくを奢ってくれました。

美味しかったです。


お昼には、またもや芋煮!

すごいなぁ…全行程、芋煮…


そうそう、階段を上っているうちに、カバンについていたキーホルダーが、金属部分の根元から千切れて、行方不明に……何か、厄でも落としてくれたのかも……と思うくらいに凄い千切れ方でした。




午後、飛行機で帰る友人と山寺駅にて別れ、再び山形駅へ。

私は親戚に会うため街中へ。もう一人の友人と夜にバス停にて待ち合わせを決めてバス停で別れました。


山形は、母の生まれたところです。

祖父母は共に山形の人なので、完全に半分は山形。

ちなみに、祖母の先祖は米沢藩の御典医だったとか…

で、おじゃまするのは、その祖母の親戚宅。実は、初めて会うのですよ。


行くと、次々現れる近所に住むご親戚。

例の蕎麦屋『三津屋』の方も蕎麦を持ってきてくださいました。美味しいのデス。

ダンゴやら洋梨やら芋煮やら蕎麦やらモチやら…

お腹いっぱいになるくらいご馳走してもらってしまいました。


3時間ほどしかいられませんでしたが、楽しい時間を過ごしました。


そして…

山交ビルより、夜行バス・アルカディア号にて関西へ。




こうして、山形への小旅行は終わりを告げました。


翌朝には奈良へ戻り、夕方から仕事してる辺り、かなり無茶だとは思いますが…

………そのままの疲労が、まだ、回復しておりません。実は。


けれど、また、山形に行きたいと思っています。

山寺しか行けませんでしたしね。



山形・年会旅日記 2日目

【2006年10月15日】


眠い。


結局、遅くまで、原稿の最終チェックをして…とうとう来た本番!


発表って、学内のもの以外では初めてだったので、もう、かなり緊張!!

しかも、お世話になってる先生方がたくさん…

うぅ…ヤバイ……


けれど、下向いてちゃイカン!というわけで、深呼吸代わりに、一度会場内を見渡し、一呼吸してから離し始めることにしました。


いつもは、読み原稿を用意してくるのですが、今回は、話す要点だけを配布用レジュメに書き込んで、いつもよりゆっくり目に喋りました。

前夜に計った時間配分なら、ゆっくり話せば20分あれば十分。


なんとか、伝えたいことを全て喋り。17分程度。

後は、質疑応答。…どうか、難しいことを聞かれませんように…


…何とか、無事に乗り切ることができました。




朝一だったおかげで、残りの時間は、気分スッキリで各発表を聞きまわりました。

午後になって、先輩から「発表終わって気が抜けた?」と問われましたが、「逆にスッキリしてます」

私って、かなりの楽天家っぽいですね。


この晩は、東京の大学との交流会。

すみません。少々酔っておりました。

箸置きの落花生を縦に指で粉砕……デストロイヤーぶりを暴露してしまいました。

あっ!誤解しないで下さい。私、非力ですから。握力は平均して20未満(指だけで握ったら22だったけど…)。指だけです、強いのは。ピアノのせいです。(何だか必死)

そして今夜も芋煮と蕎麦。

わ~い。山形名物♪

納豆も美味しかったです。


そうして更けてゆく、山形2日目の夜……


→3日目に続く