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21日、春日講の調査に行ってきました。
調査は無事終了したんですが…その後が大変でした。
夕方は、御神酒(湯飲み一杯)のおかげでフラフラだし…
夜は……顔中が赤くなって、痛くなりました。
最初、お酒のせいだと思っていたんですが、どうもおかしい……
どうやら、調査中に山のように積まれていた杉の葉が原因だったようです。
スギ花粉…
そういえば、葉にポツポツと花がついてました。
春日鹿曼荼羅(指定文化財)を掛けた床の間に、竹と杉で作った柵のようなものを上と下からつけて…という行事なんですが、ビール運搬ケース2つ分の山盛りの杉の葉…
やはり、花粉症の身ではきつかったようです。
「花粉症やのに、何で山行くの?」
と、副業先のおばさま方に呆れられてしまいました。
いや、行ったの山じゃないんですけどね…
お寺さん関係で動いた二日間でした。
23日、まずは兼ねてからの計画通り…
氏神様でもある八幡社の神宮寺さん薬園寺さんと、材木町のお地蔵さんの元へ向かうべく…
郡山駅前から矢田筋を抜け、大工町経由で柳町、高田口……と途中の地蔵盆を偵察しながら歩きました。
大工町では、いつも賑やかに飾り付けられている電気屋さん脇の地蔵さんが、17時からお寺さんがお参りにくるとの情報を掴み、予定に組み込みました。
で、辿りついた薬園寺さん&材木町の地蔵さんで、どうぞ~と本堂に招き入れられ、「あれ?」と(多分)知人から声を掛けられつつ、住職さん(別当さんです)から色々と話を聞きました。
薬園寺さんは、檀家のない寺院なのですが…柳澤家縁のお寺です。
聖武天皇が開基で行基さんが開山だそうです。元は薬園八幡神社の神宮寺で、旧い城下町図ではこちらのほうが大きく描かれているほどです。
真言宗御室派なのですが、どちらかというと修験色の濃いお寺だそうです。
ちなみに、寺のすぐ入口に材木町の地蔵さんはいらっしゃいますが…お寺の地蔵さんではなく、町のお地蔵さんです。来年は、数珠くりに間に合うように行こうと思ってます。
その後、電気屋さん脇の地蔵さんに向うため、時間つぶしに、今度は洞泉寺を抜けようと歩いてますと…
普段は締まっている寺の門扉が開いて、地蔵盆の提灯が吊ってありました。
豊臣秀長縁の洞泉寺ですが、ここは同級生の家だったりします。今は交流ないけど…
覗きにいって見ると、私がここにいるきっかけの垢かき地蔵さんのお堂が開いていました。
庭を掃いてるお坊さんに「こんにちわ~」と声を掛けつつ、お堂を覗き込んでると、お坊さんから声を掛けられ……
弟の同級生でした。私の同級生の弟くんです。
しばらく色々と話をしていたのですが、ここはお寺のじぞうさんなので、子供たちの地蔵盆とは違うものです。昔、幼稚園をやっていた頃は、子供さんも参加してたそうですが……
洞泉寺町から大工町へ戻り、目的の地蔵さんに向かうと…ちょうど浄照寺さんから出てくる姿。
どうやら、お経を上げに行くお坊さんのようでした。多分、ご住職でしょう。
お参りが終わった後、近くの方(実は電気屋さんの方でした)にお話をお伺いすると…
ずっと、大工町の地蔵さんだと思っていた地蔵さんが、実は個人の地蔵さんだということを初めて知りました。
そりゃ、他に何も行事してる様子がないはずだ。
この日は、以上で調査を終え、図書館へ向かおうと堺町を歩いていると…新中町に人が集まっていました。
聞いてみると明日(24日)に数珠くりをするそうで…行くことに決めました。
図書館で調べものをし、閉館時間で追い出され…折角だからと、脳内地図を広げるため九条駅まで歩きました。
何箇所か、ご詠歌をあげていたり、なにかの準備を始めてるところもあったのですが…
急な雨がちょっと心配でした。
そして、24日。
13時からの新中町の数珠くりに向かいました。
行く途中、大手門の地蔵さん前にスイカ割りの残骸を見つけました。また、調べに来ないと……
新中町は、秀長公の菩提寺・春岳院のある町です。
外で数珠くりをするかと思っていたら、お寺の中でするのだそうで……中に入れていただけました。
どこもそうですが、やはり、子供さんが少ないのが難点だそうです。
ご住職のお話の後、数珠二本で二手に分かれて数珠くりしてらっしゃいました。
そのあと、お時間いただけて、ちょっとご住職さんとお話し、本堂を少し見せていただきました。
今年は、お寺を回ったかのような地蔵盆調査になりました。
郡山は、旧城下町地区のほとんどの町が(昔は全部やってました)地蔵盆を同日にするので、年に数箇所ずつ回るのが限界です。
引っ越しして、手伝わなくてよくなったので動きやすいのですが……遠くなったのが難点だ……
一度、人海戦術での調査したいですね。個人では難しいですが……
お寺さん関係で動いた二日間でした。
23日、まずは兼ねてからの計画通り…
氏神様でもある八幡社の神宮寺さん薬園寺さんと、材木町のお地蔵さんの元へ向かうべく…
郡山駅前から矢田筋を抜け、大工町経由で柳町、高田口……と途中の地蔵盆を偵察しながら歩きました。
大工町では、いつも賑やかに飾り付けられている電気屋さん脇の地蔵さんが、17時からお寺さんがお参りにくるとの情報を掴み、予定に組み込みました。
で、辿りついた薬園寺さん&材木町の地蔵さんで、どうぞ~と本堂に招き入れられ、「あれ?」と(多分)知人から声を掛けられつつ、住職さん(別当さんです)から色々と話を聞きました。
薬園寺さんは、檀家のない寺院なのですが…柳澤家縁のお寺です。
聖武天皇が開基で行基さんが開山だそうです。元は薬園八幡神社の神宮寺で、旧い城下町図ではこちらのほうが大きく描かれているほどです。
真言宗御室派なのですが、どちらかというと修験色の濃いお寺だそうです。
ちなみに、寺のすぐ入口に材木町の地蔵さんはいらっしゃいますが…お寺の地蔵さんではなく、町のお地蔵さんです。来年は、数珠くりに間に合うように行こうと思ってます。
その後、電気屋さん脇の地蔵さんに向うため、時間つぶしに、今度は洞泉寺を抜けようと歩いてますと…
普段は締まっている寺の門扉が開いて、地蔵盆の提灯が吊ってありました。
豊臣秀長縁の洞泉寺ですが、ここは同級生の家だったりします。今は交流ないけど…
覗きにいって見ると、私がここにいるきっかけの垢かき地蔵さんのお堂が開いていました。
庭を掃いてるお坊さんに「こんにちわ~」と声を掛けつつ、お堂を覗き込んでると、お坊さんから声を掛けられ……
弟の同級生でした。私の同級生の弟くんです。
しばらく色々と話をしていたのですが、ここはお寺のじぞうさんなので、子供たちの地蔵盆とは違うものです。昔、幼稚園をやっていた頃は、子供さんも参加してたそうですが……
洞泉寺町から大工町へ戻り、目的の地蔵さんに向かうと…ちょうど浄照寺さんから出てくる姿。
どうやら、お経を上げに行くお坊さんのようでした。多分、ご住職でしょう。
お参りが終わった後、近くの方(実は電気屋さんの方でした)にお話をお伺いすると…
ずっと、大工町の地蔵さんだと思っていた地蔵さんが、実は個人の地蔵さんだということを初めて知りました。
そりゃ、他に何も行事してる様子がないはずだ。
この日は、以上で調査を終え、図書館へ向かおうと堺町を歩いていると…新中町に人が集まっていました。
聞いてみると明日(24日)に数珠くりをするそうで…行くことに決めました。
図書館で調べものをし、閉館時間で追い出され…折角だからと、脳内地図を広げるため九条駅まで歩きました。
何箇所か、ご詠歌をあげていたり、なにかの準備を始めてるところもあったのですが…
急な雨がちょっと心配でした。
そして、24日。
13時からの新中町の数珠くりに向かいました。
行く途中、大手門の地蔵さん前にスイカ割りの残骸を見つけました。また、調べに来ないと……
新中町は、秀長公の菩提寺・春岳院のある町です。
外で数珠くりをするかと思っていたら、お寺の中でするのだそうで……中に入れていただけました。
どこもそうですが、やはり、子供さんが少ないのが難点だそうです。
ご住職のお話の後、数珠二本で二手に分かれて数珠くりしてらっしゃいました。
そのあと、お時間いただけて、ちょっとご住職さんとお話し、本堂を少し見せていただきました。
今年は、お寺を回ったかのような地蔵盆調査になりました。
郡山は、旧城下町地区のほとんどの町が(昔は全部やってました)地蔵盆を同日にするので、年に数箇所ずつ回るのが限界です。
引っ越しして、手伝わなくてよくなったので動きやすいのですが……遠くなったのが難点だ……
一度、人海戦術での調査したいですね。個人では難しいですが……
仕事場で売られているものは、様々なものがあります。
盆前、お墓参りグッズコーナーを見てみると……「墓石補修セット」「墓石掃除セット」「墓参りセット」…と様々なセットが並んでいました。
「墓石補修セット」なるものを、手にとって見てみると、どうやら、墓石の文字を補修する道具のようでした。「なぞるだけ!」とか書いてました。
ちなみに「墓石掃除セット」には、墓石専用洗剤が入っておりました。「墓参りセット」は、買ってすぐ持って行って使える、蝋燭・線香のセット。
でも、関西って、あまり蝋燭を使わないんですよね。
私は、母方が山形なので、関西式と関東(東北)式、両方の墓参りします。
東の方って、線香立て…じゃなくて線香入れなんですよねぇ……横に寝かして入れる、ステンレス製の網が入った。
そのステンレス製の線香入れ、一緒にお墓参りグッズコーナーに並んでました。
担当をしてる母に聞いて見たら、その時点で全く売れてなかったそうです。(現時点でも2個くらいしか出てないらしい)
蝋燭立てや、墓用蝋燭立ての蓋なんかも置いてますが、これも売れないそうです。
その代わり、線香立てと盆提灯(岐阜提灯・回り灯籠の類)はよく売れてるようです。
うちの売場からも、天井から吊った提灯が良く見えますし、展示品のみの商品を取ってるのも見えます。
スーパーという仕事場にいると、意外と民俗的なものの現状を目の当たりにすることが多いです。
前の店にいたときも、盆提灯の売場はいつも聞かれました。
関西は8月に入ってから盆の準備が始まるので、盆提灯は、8月から販売開始するみたいです。
フライングで探しにくる方もいらっしゃいますが……
盆提灯……は、最近は買わないで、葬式の時に使ったものをそのまま使うことも多いみたいです。
そのせいか、よく民具整理時に出てくる大型の提灯以外に、高さ30cm前後の小さいものも売られてます。
かなり大きな提灯もあるのですが、店のある環境的に、古い家も多いので、意外と売れてるみたい……
盆期間中、通勤途中の家々で御詠歌が聞こえてました。
今日は、送り盆…ということで、母の実家の方へ行ってきました。
奈良在住ですが出身は山形なので、寺の墓地で、一つだけ蝋燭立て&線香入れ…という形式で微妙に目立ってます。
寺が、郡山藩主だった本多家の菩提寺ということもあり、ちょっと格が高くて敷居の高め(費用とか)ですが……私としては、周囲の墓石に刻まれた年代を眺めるだけでも楽しいです。
父方の方は、墓地が古くからの墓堂なので、こちらもまた、周囲の墓石の年代が楽しい……そっちは、墓地入口に鳥居が立っていたりします。
奈良では今日は送り火です。京都は明日ですね。
今年も、下鴨の納涼古書まつりに行き損ねました。
そして、今日は終戦の日です。
高校野球の途中で、サイレンがなりました。黙祷。
ちょうど智辨学園VS仙台育英戦最中でした。…智辨が得点取った直後でした。
平和だからこそ続いている高校野球。毎年、この時期には、それを思い知らされます。
そういえば、仙台育英の投手が今年はかなり注目されてました。
だからといって!
今日のアナウンサー、あまりに智辨をないがしろにしすぎでした。奈良県民に喧嘩売ってますか?
もっと、平等な中継を希望します。摩多羅嬢の言うとおりだ!!(言いすぎ?)
まあ、決勝レベルの試合を見せていただけたので、そして智辨が勝ったので、忘れようと思いますが。
次は京都です!頑張って~~!久々に、近畿に優勝旗を!
試合開始が、ちょうど移動中だったため、先月買ったばかりのワンセグ携帯にイヤホンつけて、観戦しておりました。ちょっと見すぎで電池が熱かった(苦笑)
そして、母の実家に着いたらすぐ、「野球~!」と勝手にチャンネルいじっておりました。
今週末は、滋賀へ地蔵盆調査です。
久々に、研究テーマの調査です。しかも、いつも奈良県内ばかりの私が、他地域です!
いろいろと楽しみ……
三日地蔵の調査へ行ってきました。
昔から、一度は見ておきたいと思っていた地蔵さんだったので、今回、仕事で割り当てられたのは、本当によい機会だったと思います。
初めて知ったのは、小学生の時。
地元の民俗博物館の映像資料ででした。
それから、何度も…地蔵研究をしている中で、見てはいたんですよ。見るだけは…
……三日地蔵……というのは、集落の中の家々を、三日ごとにお地蔵さんが回るというものです。
夕刻、厨子に入ったお地蔵さんを背負って、次の家へと送って行き、三日間お世話して、また次の家へ送る…
こういう風習は、もうなくなってるんじゃないか…とか、廃れかけているんじゃないか…と思いがちですが(私自身、もう盛んじゃないだろう…と思ってました)、驚いたことに、今でも、連綿と続いているようなんです。
本当に偶然だったのですが、お話を伺いに行った、丹生神社の宮司さん宅に、お地蔵さんはいらっしゃいました。
ちょっと感動しました。
調査に行くことを連絡したら、どこを回っているか確認すると言ってくださっていて、ご近所さんだとしても、何とか出会えるかな…くらいにしか思ってなかったのに!
昔のお話とかも聞くことができ、仕事上でも、個人的研究でも、実りのある調査となりました。