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よみぢのほだし

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民具のこと

先日、関民連と紀伊風土記の丘が主催で「実験民具学講座」が行われました。

竃で、鉄釜でご飯を炊いて食べたり、私は時間の都合で参加できなかったのですが千歯扱きや唐箕を使ったり…いつもは触ったり整理したりすることしかない「民具」を実際に使いました。



「民具」というと……「昔の道具」というイメージが強いですが、よく考えてみたら、日常生活の中で普通に使っていた(使っている)物なんですよね。今、こうやって文字を打っているパソコンと同じで…



私は、「民具」だからといって特別なものと思えません。

民具整理のアルバイトをしているときに、ラジオや電話、ミシンなどといった昭和の一なら普通に使っていただろう道具に出会って、更にそういう感覚が強まりました。

使わなくなった物は民具。

使っている物は道具。

大まかに分けたら、こうなるんでしょうか?

微妙な違いですね。

そんな風に考えると、粗大ごみの日、ごみ置き場に積まれている物も、運命が違えば民具として収蔵庫に入っていたんだろうな…となんだか感傷的になってしまいます。



……って、別に、そういうことを言いたいがために、これを書いてるわけではないのでした。

話の軌道を修正します。



千歯扱きや唐箕などといった農具は、私の育った場所が場所なだけに、接する機会はありません。使い方だって、歴史の教科書なんかに載っている絵で何となくの想像をしているだけですし。

けれど、今では資料館にあるような五つ玉の算盤は祖父が仕事で使ってましたし、棒に目盛りがついていて錘を動かして量る棹秤は祖母が漬物の塩を量るのに使っていました。正月用の黒豆やオヤツのカキモチは七輪で焼いていました。

でも、家に竃や囲炉裏があったわけでもないですし、井戸はあったけど水を汲んでいたわけではありません。



民俗学をやっているのに、民具を触っているのに…それがどういうものなのか、どうやって使うのか、何も知らずに話を聞いたり、台帳に記入したりするのです。

それは、ずっと疑問でした。

こんなんじゃ何の意味もない…とは思っていました。

といっても、どうしたらいいのかも分からなかったのですが…



そんな風に葛藤というか焦燥を抱いて、細々と研究活動(?)を続けている中、今回の「実験民具学講座」が開催されました。



夕方から別の用事があったのですが、「なんとかなる!」と参加することにしました。

参加して、本当に良かったと思います。

古民家の土間で、竃に火を入れ、釜でご飯を炊くという経験は、かなり有意義でした。

抱いていた疑問への、解決の糸口になりました。

少しずつ、少しづつ、知っていこうと思います。



またこのような機会があれば参加したい…と思います。



本当の意味で知っていなければ、どれだけ聞き取りしても本当の意味での調査にならないのだと、改めて思いました。



そういえば、祭の調査先で、時折、準備の手伝いをする機会もありますが、それも、同じですよね。

…鉈で竹を削るのは結構、大変です(苦笑)

これからは、積極的に、祭のお手伝いもしたいと思いますね。

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節分そして立春

明日は節分ですね。

節分は、立春の前日です。

そう、明後日からは、暦の上では春なのです。

「春は 名のみの 風の 寒さや」(♪早春賦)という歌もありますが、やはり、まだ気候は冬なんですよね。

寒い寒い…



ところで、節分といえば追儺や豆撒き、寿司の丸かぶりなど、いろいろな行事がありますね。

寿司の丸かぶりは、関西(特に大阪)発のものですが…そういや、バイトしてた頃、強制ではなかったですが巻き寿司買わされました。

TVや何やで節分行事の特集してるので、あえて、ちょっと外れたことを記事にしてみようと思います。



研究を途中で止めているネタに、節分についての面白い記述がありました。

滑稽本の中のセリフなのですが、とある有名寺院内の小さな神社が、当時(天保時代)には、周囲を柊で囲まれていたようなのですが…

それを見て、「節分の夜には、ここにくればいいよ」「どうしてだい?」「柊の木があるから、ここには鬼が入ってこないから」というような会話をするのです。

読んでて、面白いなぁと思いました。

だからどうした?といわれそうですが、柊の枝に鰯の頭を刺して門口に差す習俗がありますが、柊の葉のトゲトゲが鬼の目を突き、鰯の臭いで鬼が逃げるからだそうな…

その滑稽本が書かれた時にも、庶民の間でそういう習俗が生きていたことを実感させられました。



まあ、このネタをどう料理できるかどうか…それが悩みどころなのですがね…


奈良のお雑煮

昨日、仕事が休みだったので、平日昼間の昼ごはんの友(苦笑)「おもいッきりテレビ」を見ていました。

番組内の健康食(?)を紹介するコーナー「知れば知るほどそれよさそう」(でしたっけ?)を見ていると・・・「今日は、奈良県、山添村の・・・・・・」との声が…

おやまあ、と思って見ていると、「山添村では、珍しい、きな粉のお雑煮を云々」と解説してるではないですか。村のおじいさんが「味噌の雑煮」といった言葉にも、異常なほどの反応。

「いや、それ・・・雑煮のもちをきな粉で食うアレだろ?奈良じゃフツーやん!どこでも食べるってば。白味噌の雑煮も、関西じゃフツーやってば。」

しょっぱなからTVに向かってツッコミ入れる私。



・・・で、とりあえず見ていると、やっぱり、白味噌仕立てのお雑煮に、丸餅焼いて放り込んで・・・イモガシラ(カシライモ)もどかんと放り込んで……食卓に並ぶは雑煮の椀ときな粉の器。

集まった山添の皆さんは、芋やら人参やら餅やらを、きな粉の器に放り込み、きな粉をめいっぱいまぶして、完食してました。取材の人は、おっかなびっくり食べておりました。



この食べ方、奈良では普通の雑煮の食べ方です。

白味噌仕立てのお雑煮に餅も入れて、その後、雑煮の中から引きずり出した餅をきな粉つけて食べるんです。



実は私、奈良県民なのに、雑煮の餅をきな粉で食べるのが苦手です。芋や人参はおいしいと思うのですが…

それで、番組を見ていて思い当たったのは、我が家の雑煮ときな粉が甘すぎるせいなのでは?・・・でした。もっときな粉味が濃ければ、いけるのかしら?甘すぎるから、変な味になるのかもしれません。



TVでは、まるで山添村限定の食べ物みたいに話していました。私は、奈良県民としても民俗学をやっているものとしても、それが気に入らなくて、とにかくツッコミ入れまくってました。



そのあと紹介された「くるび餅」・・・これって、私が秋祭り調査したときには、「くるみ餅」として聞いてきたものです。方言の訛りを聞いたまま文字にしたのでしょうか?この食べ物は、あの辺りではよく見られるものですね。



地元のことを特集されて、改めて気づいたのは、TV報道の微妙な歪曲ぶりでした。

高校時代に分かっていたはずなのに(学校の先生が捕まって報道陣が押し寄せたことがあったのです)、失念してました。

これからは、このコーナー見た後、ちゃんと自分の目で確認しようと思います。

地域独特の食べ物は、健康云々以上に、民俗的にも面白いテーマだと思います。



ところで、白味噌雑煮できな粉で餅を食べる、この食べ方って、奈良県全域なんでしょうか?

国中地域(奈良盆地)と東山中(大和高原)は、そうなのだと分かりましたが、吉野でも食べているんでしょうか?ご存知の方、教えてください。

また、三重県の奈良に近い辺りの地域って、どうなんでしょうか?これも、ご存知の方教えていただけると嬉しいです。


薄紅天女

ようやく、勾玉三部作を読破しました。

「薄紅天女」…何とか見つけて読み始め、読みえるのに、先の2作品以上の時間がかかってしまいました。

ハードカバーの方では読み終えていなかったので、この新書版が初めてだったのです。中学高校以降は、推理小説やライトノベルズ・専門書に読書のジャンルが移っていっていたので、知らないうちに「薄紅天女」が出ていたからです。



本当は、先の2作同様に、感想を書きつづりたいのですが・・・

実はまだ、消化不足です。

先の2作は2度目の読破なので、いろいろと感想も持ちましたが、今回に限っては、話を追うので精一杯でした。

時間を置いて2度目を読んでから、改めて感想を書こうと思います。

現在は、母が必死で読んでるので、その後になりますが…



でも、まあ、一応、一回目の読破後の感想を簡単に・・・

長岡京の時代。

歴史の教科書で出会ったことのある人物たちと、こんなところで再会するとは思っても見ませんでした。何より、意外な設定が面白かった。

ただ、全編通して思ったのは、少し難しいかな・・・ということでした。



消化不足を解消するため、また読んでから感想書きます。

民具整理で出会ったモノたち

通年ではなかったのですが、民具整理をしていた時に、「さすが地域の寄贈!」と思える面白い民具に数々出会いました。

手元に写真は残っていないので、文章のみになりますが、時々、不定期で紹介していこうと思います。





第1回 棺桶運びの輿

 

あまり「面白い」物品ではありませんが…珍品といえるでしょう。

座棺を運ぶための輿です。

これがまた、大人用と子供用がセットでありまして…ブリキの入れ物に入っていました。



倉庫の中は乱雑で、積み上げたり所狭しとおかれたり…どれが何か分からない状況ではあったのですが…、中身はなんだろうと一緒に仕事をしていた学部時代からの友人と、小さい方のブリキの箱を開けたところ…

ほんの少し蓋が浮いた瞬間、背筋を悪寒が駆け抜けました!思わず、声も出ないまま手を離してしまいました。

直感的に「これはヤバイものだ!」と、それまで全くないと思っていた霊感(こう言うと胡散臭くなるのはなぜでしょう?)らしきものが警鐘を……



それでも何とか、ブリキ箱を広いところに引っ張り出し、中から出てきたものを観察してみると…



白木作りの輿で、中はあまりしっかりしていない板。

簾部分の縁には白地に白糸で鳥の刺繍…

いやな予感…

鳥は魂を運ぶもの。



そして、倉庫の奥を見ると、この小さい輿が入っていたのと似通ったブリキの箱。

男性陣にも手伝ってもらって、そちらを開けると、同じような輿が出てきました。



後日、大学院の教授に確かめると、嫌な予感は的中!

葬送用具の一つ、土葬で使う座棺運びの輿でした。

聞きに言ってくれた上、その場で座らされ、自らでサイズを測らされた友人よ…ご苦労様。



こんな風に残っていることすら珍しい、葬送用具が寄贈民具として倉庫に入っているのは貴重で興味深いことなのですが…ちょっと……いや、かなり精神的には痛かったです。



ちなみに、その倉庫。

お昼ごはんを食べていると、誰も居ないところから始終視線を感じるという、怖がりさんには入室をオススメできない倉庫でした。夏向きですね。

霊というよりツクモ神?



霊感やら何やらについては、また、そのうち書いてみてもいいかな…と思っています。